このページは、国家資格、公的資格、民間資格など約800種類の「国家試験・資格試験」に関連するコンテンツリンク集です。外国語や日本語など語学関係の資格情報について、キーワードを変えながらサイトの種類別やコンテンツ別に検索することができます。

About this Site
  1. Home
  2. Culture >  Grandma Moses

グランマ・モーゼス

20世紀アメリカで最も愛された画家

東京・西新宿にある「損保ジャパン東郷青児美術館」。出口に近い常設コーナーの一角に、かの有名なゴッホの『ひまわり』が両脇にセザンヌとゴーギャンの作品を従えて、ガラス越しに展示されている。照明を落とした空間の中で、重厚な雰囲気を漂わせている。

そして巨匠たちの作品から十歩程離れたところに、郷愁をいざなうような農村風景を描いたグランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)の作品が並んでいる。

遠近のバランスや建物の輪郭がところどころぎこちなく映り、子どもの描いた絵のような印象もあるが、森の鮮やかな緑や雪景色の抜けるような白さがひときわ明るさを放ち、生き生きと丹念に描かれた人々や動物、豊かな自然の風景に心がなごむ。カレンダーやクリスマスカードのイラストとしても、グランマの絵が変わらぬ人気を博しているのがよくわかる。

75歳で本格的に絵筆を握る

グランマ・モーゼスは、本名アンナ・メアリ・ロバートソン・モーゼスといい、グランマ・モーゼス1860年にアメリカ東部・ニューヨーク州の農村・グリニッチに生まれた。12歳のときから、家計を助けるため奉公に出て、近くの農家で住み込みで働く。27歳でトーマス・サーモン・モーゼスと結婚。以降、夫とともに農場を借り、10人の子どもを育てる(うち5人は夭折)。

19世紀末のアメリカの農村の様子は、『大草原の小さな家』(こちらは西部だが)などでその情景がおなじみだが、モーゼス夫人も農場を管理する妻として忙しく立ち働き、また大家族の世話に休む間もなくあけくれる毎日。合間をぬってバターやジャムを作って近くの商店で売ったりと、勤勉そのものの生活を過ごした。最愛の夫の死後75歳のとき、持病のリューマチがひどくなり、それまで趣味で続けていた刺繍をやめて本格的に絵筆を握る。

Loading...

その3年後、ドラッグストアのショウ・ウィンドウに飾られていた彼女の絵にひとりの絵画収集家が偶然目をとめ、その知遇で1940年、80歳のときに初めて個展を開く。この個展に当時の大手デパートが注目し、感謝祭の催しでグランマ・モーゼスの絵を展示。以後瞬く間に評判が高まり、一躍有名画家の道を歩むことになる。89歳のときには大統領トルーマンによって、ホワイトハウスに招かれるという栄誉に浴し、101歳で没するまで1500点余りの作品を描き続けた。

有名になっても変わらぬ誠実さ

大器晩成を地で行き、「何事を始めるにも遅すぎるということはない」といった教訓の引き合いとして、もっとも似つかわしい生涯に思えるが、グランマ・モーゼスは、人生の後半に画家として大成したことを自身大したこととも思っていなかった。有名になってからも、それまでとまったく変わらぬ淡々としたつましい生活を送り、アトリエを持つことさえなかったという。

自叙伝『モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝』『モーゼスおばあさんの絵の世界―田園生活100年の自伝』(1983年未来社刊。加藤恭子訳。絶版)では、その生い立ちから画家として名声を得るまでの歩みが純朴な筆致で綴られているが、先祖にまつわる話に始まって、幼い頃や結婚後の出来事が時系列で連ねられ、さながら近所のご老人のとりとめのない昔話を聞いているようである。

読者が期待する肝心の絵の話は最後の最後になって、わずか数ページ触れられているだけ。曰く「最初の頃よりは良い仕事をするようになったとは思いますが、主にそれは絵筆と絵の具のせいだと思います。」「わたしが絵をかく時は、戸外で多くの時間を費やして、くり返し観察します。」等。最後に「わたしの生涯というのは、一生懸命に働いた一日のようなものでした。」と締めくくられている。

ページの先頭へ