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まんが文化

青年コミック誌のさきがけ『COM』

小泉首相の後の自民党総裁が安倍晋三氏に決まったが、安倍氏と争った麻生太郎外務大臣は、無類のマンガ好きで知られている。学生時代はもとより、現在でも少年週刊誌をはじめ、週に20冊ものコミックを購読しているそうで、その代わり新聞はほとんど読まないということ。それでよく政治家が務まるものと、皮肉でなく感心する。

近年、大学生はもちろんのこと、社会人となった後もマンガを習慣的に読む人は多くなり、電車の中でスーツ姿のサラリーマンがマンガを読みふける姿も頻繁に目にする。ビジネス世界を素材にした作品を中心に据えるなど、コミック誌もコンテンツを成人向けに充実させている。

貸本マンガRETURNS 貸本マンガ、月刊マンガ誌全盛の時代を経て、『少年マガジン』『少年サンデー』等の週刊少年マンガ誌が誕生し、本格的なマンガ量産・消費ブームが到来するのが昭和30年代半ばから。そんな中、少年マンガ誌と一線を画す形で、高校・大学生を主な対象に青年向けマンガ誌として昭和39年に誕生したのが『ガロ』。

『ガロ』では白土三平の『カムイ伝』を初めとして、他に水木しげる、影丸譲也、つげ義春、滝田ゆう等の異才たちによって、独特の個性が横溢した作品が次々発表され、全共闘世代の学生を中心に高い支持を得た。

この『ガロ』に対抗する形で、同じく大学生世代をターゲットとして、手塚治虫率いる虫プロダクションが刊行したのが『COM』というマンガ誌。

硬質なマンガ論も展開

コム手塚治虫の『火の鳥』を看板作品として、石森章太郎(後の石ノ森章太郎)、永島慎二、水野英子、つのだじろう等の漫画家が執筆陣として名を連ねているが、「まんがエリートのためのまんが専門誌」をキャッチフレーズに掲げ、マンガ作品以外にも硬質な記事を数多く盛り込んでいた。

例えば昭和42年の創刊第9号を見ると、『まんがにおける原作の実状をさぐる』と題して、当時『巨人の星』を初めとして増えはじめた”原作つきまんが”の是非について、尾崎秀樹の司会で、原作作家、漫画家、編集者が座談会を行い、それぞれの立場で考察を加えている。つのだじろう氏は「まんが家と原作者が妥協せずに、お互いが十分検討したうえで、完全な作品を読者に読んでもらう努力をしなければ、(原作つきまんがには)賛成できない」と厳しい意見を提示している。

その他、『まんが家論―永島慎二の巻』、『登場人物考察―キャラクターは生きている』等の特集記事で骨太のマンガ論を展開。手塚治虫がコラム『まんが家一言診断』において、赤塚不二夫や白戸三平、ちばてつや、貝塚ひろし、望月三起也など当時の人気作家の作風についてコメントを寄せ、「りっぱな作品だが、かなりマンネリズムなので、ひとつ稿を新たにしたほうがよくはないか?」などと思い切った苦言を呈しているのも、第一人者としてマンガ界の発展を願ってのことだったと思われる。戦後野球マンガ史―手塚治虫のいない風景

さらに、『COM』は新人まんが家の発掘にも力を注いでおり、この号では、後に『土佐の一本釣り』が代表作となった青柳裕介や、『タッチ』で一躍人気を博したあだち充等に新人賞を与え、いずれも将来性あるマンガ家として有望視している。結局この『COM』は、少年マンガブームに対峙することができず、加えて虫プロが経営不振に陥ったこともあって、残念ながら4年足らずで事実上の廃刊となった。

いまや文化庁のメディア芸術祭にはマンガ部門が設けられ、京都精華大が大学として初めてマンガ学科を開設するなど、マンガは立派な芸術のひとつとして認知されているが、40年前の『COM』は、すでにマンガ文化の旗手たらんとする気概に満ちていたことがうかがえる。

まんが道 Vol.2 青春編

まんが道 Vol.2 青春編 藤子不二雄Aの自伝的漫画を原作に映像化した青春ドラマの第2巻。郷里・高岡から漫画家を目指して上京した漫賀道雄と才野茂。同じまんが道を歩むトキワ荘の仲間たちとの交流や「新漫画党」の結成など、厳しくも素晴らしい青春の日々を描く。全15話を収録。